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患者さんとご家族へ 

「この歯さえ治してくれればいいんだ」の陥穽(落とし穴)

 

認知的節約(cognitve economy)と「原因の錯覚」

 

どうして「この歯さえ・・・」になってしまうのか?

 歯痛や義歯不適合(不適応?)などの歯科的症状は、患者さんにとってみれば「治療のミスだ」「歯医者が悪いからだ」という因果予測が強く成り立ちやすいものです。ですが、いつも、すべてのケースが必ずしもそう簡単ではないことを歯科医師は知悉しています。

 しかし往々にして患者さんは「もうこの歯を抜いて下さい!!」「ここを削って下さい」などと性急に歯科処置を求めがちです。なぜなら「この歯が悪いから何にもできない」「歯が痛いから何にも食べれない」からです。早くこのイヤな状況を何とかしたい。東大痛み診療センターの笠原諭先生の仰る「原因の錯覚」という現象が生じやすい訳です。

 

原因の錯覚

「原因の錯覚」とは、「痛み」や「怒り」「不安」などの内的体験を唯一の原因であるかのように考えてしまうことです。この錯覚に陥ると「何かをするためには、この原因を除去しなければならない」と考えてしまいます。また、舌痛症で「歯にこすれて痛い」と感じ、歯の研磨や削合を求めたくなるのも一種の原因の錯覚といえます。歯科医師の方がこの錯覚に陥るケースもいまだにあります。

 要注意なのは「痛いうちは何もできない」→「歯を治せばよくなるはず」という言葉の罠です。ところが真の原因はそこに有る訳ではないので、いくら上手な歯科医師が処置しても症状は良くならない。患者さんは次々と名医を撃沈し続ける・・・というわけです。

 

認知的節約(cognitve economy)

 ヒトが必要以上に認知資源を用いない傾向があることは、「認知的節約」と呼ばれます。「認知資源」とは、注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力を指します。

 脳は大量の情報を処理しなければならないため、できるだけ精神的エネルギーを節約したがる性質を持ちます。老人など認知機能が衰えて来たケースでは一見しっかりしているようでも容易にこの「原因の錯覚」に安住し固定思考に陥りやすいようです。苦しい時程、頭を使わなくとも済む楽な考え方が認知的節約となり、脳が楽だから、です。

 

歯科治療は「削る」「抜く」だけではない

 歯科治療のゴールは「歯を抜くこと」「削ること」ではありません。そもそもは、この病気のためにできなくなったこと、楽しめなくなったことなど元々の生活を取り戻すこと、ではないでしょうか。歯を壊すことがゴールではありません。歯を失って、生活も崩れたままでは何にもならない。前よりもっと悪くなるなら目も当てられません。そういう例をたくさん経験してきました。

 でもヒトは苦しくなると、原因や敵を単純に設定したくなるようです。脳は「原因不明」だと、どこか落ち着かないようにできているから、です。脳のクセで「悪者探し」を繰り返し、「この歯さえ何とかなれば・・・」etc.手段と目的の取り違えが起こりやすくなるわけです。この落とし穴に注意が必要です。それで良くなる見込みが高いなら、これまでの歯科医師がとっくにそうしてくれているはずでしょう。

 

目指すべき治療のゴールとは

 口の症状が完全に無くなっても、寝たきりになってしまっては何もなりません。ましてや今よりもっと困った状況に陥っては治療の意味がありません。

 まずは普通のことが普通にできる生活を取り戻すこと、が治療の目標です。

 病気になったことを「なかったこと」にできればベストです。症状も全くない、お薬も要らない、病院にも来なくて良い状態です。

 次に良いのは、薬を飲んでいれば口もOKで、生活も普通にできる状態。胃潰瘍や高血圧などの患者さんの多くがこの状態ではないでしょうか?

​ 元の自分に戻ること、そのために何をどうしていけばよいか、主治医としてよくよくご相談させてください。

 

反芻思考のワナ

 口も治らない、生活も落ちていく一方と言うのが最悪です。こうなると1日中「あの先生が治療ミスしたのでは」「なぜあの時、あの歯科に行ってしまったのか」などと四六時中、悶々とぐるぐる同じことを繰り返し考えてしまう毎日になりがちです。この堂々巡りを「反芻(はんすう)思考」と言います。端からみると無為な暮らしぶりですが、当人の脳にしてみれば、症状を抱えることになった理由や原因を追及し、自分で納得しているうちは、1日を過ごしたことの言い訳が立つ訳です。ヒトの脳が高度(賢い)ゆえ陥りやすい陥穽(落とし穴)です。

 

何のための歯科治療か?-手段に溺れて目的を見失わない

 口のための人生ではなく、生活を豊かにするための口の健康、その確保のための歯科医療だと思います。

 何のための歯科治療か?

脳のクセを知って、惑わされないよう落ち着いて考えるべきです。そのお手伝いを上手にできればと我々は考えています。

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