top of page

​歯科心身症とは

歯科心身症とは?(医療者・学生向け)

Oral psychosomatic disorders //“Oral discomfort syndrome”

 

 そもそも「心身症」の定義が難しく、「歯科心身症」の定義はいまだ日本歯科心身医学会でも厳密には規定されていません。ただ、現実問題として以下のような歯科疾患が古くから知られており、いずれも心身医学的な治療・対応を要するものです。

 

1.代表的な歯科心身症

 ①舌痛症 Glossodynia//Burning mouth syndrome

 ②非定型歯痛 Atypical odontalgia

      (非定型顔面痛 Atypical facial pain)

 ③咬合異常感 Phantom bite syndrome

 ④口腔異常感症 Oral dysesthesia  

   (口腔セネストパチー Oral cenesthopathy)

 ⑤口臭症 Halitophobia

 ⑥歯科治療恐怖症 Odontophobia

 

2.「歯科心身症」の定義

 最も新しく提唱された歯科心身症の定義は、以下のようなものです。

 

「臨床的な検索では刺激源を認めず、歯科的な自覚症状のみが慢性的に持続する機能的病態。患者の思考や言動には異常性を認めない」

               (中村廣一.日歯心身30(2):47−54,2016)

 この定義は、2021年に下記のような改定案が出されています;

  「歯科心身症を以下に示す(1)-(6)の要件で規定される病態と定義する;

(1)歯科的な自覚症状の訴えが持続する

​(2)自覚症状に対応する客観的所見および刺激源(原因)が見いだせない

(3)一般的な歯科的検査(Ⅹ線、画像、血液、心理などを含む)がいずれも陰性である

(4)一般的な歯科疾患に該当せず、歯科的な治療が無効である

(5)不快な状況の体験あるいはその記憶を伴う場合がある

(6)一般常識からみて認知、言動、意思疎通、対人関係、感情などに問題がない

                  (中村廣一.日歯心身36:1−4,2021)

*歯科心身症の定義は、現時点では無理矢理に厳密に言葉で表現しようとすると、必ず一部を取りこぼすか、別のものを含んでしまうことになります。慎重に「定義」しないと、表そうとした本質が死んでしまうことすらあります。「心身症」「心身医学」といったキーワードというのは、まさにその多義性ゆえにキーワードになっているわけです。「言葉を規定することへの節度」こそ誠実な研究者の態度と考え、歯科心身医学会ではあえて、未成熟なまま本症を定義することを避けているわけです。
 

 実は医学的診断には、

①多面体としてプロトタイプを一人一人が形成していかなくてはならないもの

②数値的に完全に過不足なく定義してしまえるもの

があります(兼本浩祐:なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理。講談社選書メチエ、p181-183,2018)。

​ ②に関しては、各種検査で病気が定義される、高血圧症や糖尿病などをイメージすると分かりやすいかと思います。

 歯科心身症の診断は、今のところ上記①のように多数の実例から先輩や同僚から見様見真似で引継ぎを受け、自分仕様のプロトタイプを形成していく修練を要するものと考えられます(将来的には、本症の病気のメカニズムが解明され、純然たる身体疾患と定義され直すものと予想しています)。

 

3.歯科心身症の特徴

 少し前にまとめたものですが、従来から以下のような臨床的特徴が報告されています。

 ①患者の口腔領域における局所的な愁訴は、顎顔面の疼痛、咬合の異常感、口腔内の違和感、口臭など口腔感覚に関する内容であること。それらの異常感覚は、患者自身は実感しながらも表現する言葉に困るようなものが多い。全身的な不定愁訴が付随する場合も多く、治療者側にとっては客観的評価が困難な場合が多い。

 ②患者の訴える症状と実際の口腔内の状態とが乖離していること。

 ③精神科・心療内科での治療に拒否的で、精神科や心療内科の専門医でも難渋する場合があること。

 ④直接的にうつ病を連想させる症状(「ゆううつ」、「いらいら」、「おっくう」など)は確認しにくい場合が多いこと。

 ⑤遠隔地でも治療を求めて受診してくること。

 ⑥発症の契機が歯科治療に関係する場合が多いこと。

 ⑦“歯(咬合)と全身症状との誤った関連づけ” が形成されている場合が多いこと。

 ⑧ドクターショッピングを繰り返す傾向がみられること。

 ⑨様々な歯科的処置が繰り返されたにもかかわらず、症状が改善されていないこと。

 ⑩度重なる治療侵襲により歯の解剖学的状態が崩壊していることがあった。

 ⑪自分で診断を行い、自分から検査・治療を歯科医師に要求する場合があること。

 ⑫疼痛や違和感や全身的不定愁訴などは、抗うつ薬で改善することが多いこと。

 ⑬器質的原因へのこだわりや咬合に「どこか正しい位置が一点あるはずだ」という自己確信などは薬物では変化しにくいこと。

                  (豊福、日歯心身15:41~71,2000)

 

 病型横断的特徴については以下のようにもまとめられています(中村、上掲)。

  ①現症における刺激源の欠落

  ②女性における多発

  ③自覚症状の慢性的な持続

  ④器質的異常を伴わない臨床経過

  ⑤局所治療の無効性

  ⑥抗うつ薬や心理療法(的対応)の有効性

  ⑦短期から長期までの多様な経過

  ⑧精神科受診への強い抵抗

  ⑨覚醒時の症状発現

  ⑩医原的側面と治療関係不良

  ⑪自覚症状と現症の強い関連付け

 

4.今後の展望

 「心身症」の疾患概念や定義は時代とともに変遷しており、1991年の定義が臨床現場の実情にそぐわなくなってきています。

 疾患概念とは、遡向的retrospectiveな解析によって、それも1例の解析ではなく、類似した多数例の検討を経て与えられる事実認定です(中安信夫、精神医学36;479−486、1994)。

 ある病気を規定する時には、「原因−症状−経過−転帰−病理所見」の一連の組み合わせによる「疾患単位」の概念が広く用いられています。ところが歯科心身症の場合は、症状にはconsensusが得られていますが、原因も不明、経過は治療次第、長期経過や転帰はデータ不足、特定の病理組織所見も得られていない、というのが現状です。

  現実をうかつにいい加減な言葉で縛ってしまう弊害は大きいので、せめて症状−経過−転帰のデータの蓄積を推進すべきです。実臨床に資する疾患概念や定義とは、治療に結びつくものであるべきだと思っています。経過と転帰に大きく影響する、治療についての研究も重要です。脳画像研究が本症の病態生理の解明に寄与してくれると期待していますが、そのためにも対象の均質性を担保する必要があります。

 なおタイトルの英訳にこっそり提示した“Oral discomfort syndrome”という言葉は、臨床や研究で大変お世話になっている本学医学部精神科(現 国際医療福祉大学教授)上里彰仁先生の発案です。医療者側の理屈より患者さんの苦痛に焦点を当てた病名で非常に適切だと思います。病気のネーミングも大切だと思います。

                              (豊福記)

bottom of page